元帰宅部ランナー

元帰宅部。
現トライアスロン日本代表(エイジ:アマチュア部門)

【記録】
はじめてのマラソン「10km1時間15分11秒」→奈良マラソン「10km36:15」
はじめてのトライアスロン「3時間36分13秒」→びわ湖トライアスロンin近江八幡「2時間13分05秒」
アイアンマン(スイム3.8km、バイク180km、ラン42.195km合計226km)完走

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村上春樹エッセイ【走ることについて語るときに僕の語ること】

書籍紹介
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みなさんどうも、こんにちは!

僕は元帰宅部の本気【The VO2 MAX RUN】というYOUTUBEチャンネルでランニング・マラソン情報を発信をしている市民ランナーです。

 

日本で最も有名な作家のひとりであり、日本人の中でノーベル文学賞に一番近いと言われている作家。それが村上春樹さんです。

村上春樹

代表作のノルウェイの森は映画化もされ、累計1000万部を突破するほど現代小説では類を見ないベストセラーとなっています。

ノルウェイの森

今回はそんな日本を代表する作家、村上春樹さんのエッセイ。

村上春樹エッセイ

走ることについて語るときに僕の語ること」を解説していきます。

村上春樹のマラソン歴

村上春樹さんは33歳、1982年の秋から走り始め、以来23年近く走り続けてきました。ほとんど毎日ジョギングをし、毎年最低一回はフルマラソンを走り、そのほか世界各地で数えきれないほど長短様々なレースに出場しています。

彼は言っています。

僕はもちろんたいしたランナーではない。走り手としてはきわめて平凡な――むしろ凡庸というべきだろう――レベルだ

長距離ランナーであり、日本を代表する作家はいったいどんなことを考え走っているのか、スポーツ選手以外の視点からマラソンとは?走るとは?その答えを見ていきましょう。

それではお楽しみください。

走ることについて語るときに僕の語ること【村上春樹エッセイ】

村上春樹さんはこう豪語しています。

小説家になったとき、思い立って長距離を走り始めなかったとしたら、僕の書いている作品は、今あるものとは少なからず違ったものになっていたのではないかという気がする

ここまで休むことなく走り続けてきてよかったなと思う。なぜなら、僕は自分が今書いている小説が、自分でも好きだからだ。この次、自分の内から出てくる小説がどんなものになるのか、それが楽しみだからだ

村上春樹さんがなぜそこまで走ることに魅了されているのか?

その答えは爽快さ誇りです。

がんばって走り終えると、身体の芯から一切合切を絞り出してしまったような、いくぶん捨て鉢な爽快さがそこに生まれる

同じ十年でも、ぼんやりと生きる十年よりは、しっかりと目的を持って、生き生きと生きる十年の方が当然のことながら遥かに好ましいし、走ることは確実にそれを助けてくれると僕は考えている

与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ

人生においての爽快さ、それが村上春樹さんにとっての走ることと密接に関係しているような気がします。

走り終えて自分に誇り(あるいは誇りに似たもの)が持てるかどうかそれが長距離ランナーにとっての大事な基準になる

自分を常にアップデートしていく感覚を村上春樹さんは走ることで実行していたのかもしれません。

平凡なランナーであった。しかしそれはまったく重要ではない。昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、それがより重要なのだ。長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、それは過去の自分自身なのだから

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村上春樹が考えるランニングという趣味

走ることについて、村上春樹さんは「僕がこれなでの人生の中で後天的に身に付けることになった数々の習慣の中では、おそらくもっとも有益であり、大事な意味を持つものであった」と言っています。

また村上春樹さんは「空白を獲得するために走っている。そのような空白の中にも、その時々の考えが自然に潜り込んでくる。走っている僕の精神の中に入り込んでくるそのような考え(想念)は、あくまで空白の従属物に過ぎない。それは内容ではなく、空白性を軸として成り立っている考えなのだ」とも言っています。

小説を執筆するときの想像力

「走ることは僕にとって有益なエクササイズであると同時に、有効なメタファーでもあった」と指摘していることから、走ることは何かを生み出す力に繋がっています

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村上春樹流マラソンの極意

村上春樹さんはマラソンも小説もリズムが大切と言っています。

走るときに意識していることは、リズムです。身体が今感じている気持ちの良さをそのまま明日に持ち越すように心掛ける。長編小説を書いているときと同じ要領だ。もっと書き続けられそうなところで、思い切って筆を置く

継続することとはリズムを断ち切らないことであるとも指摘しています。

さらに村上春樹さんはマラソンでも小説でも「いったんリズムが設定されてしまえば、あとはなんとでもなる」とまで言っています。

走っても走ってもタイムが向上しない、よりによってかえって悪くなってします。どうすればいいのか?

村上春樹さんはこう指摘してます。

マラソンのタイムは潮が引いていくみたいに、ゆっくりとではあるけど着実に後退を続けた。(中略)僕と「走ること」のあいだには、そのような緩やかな倦怠期が訪れていた。そこには払っただけの努力が報われないという失望感があり、開いているべきドアがいつの間にか閉ざされてしまったような閉塞感があった。それを僕は「ランナーズ・ブルー」と名付けた

「ランナーズ・ブルー」しかし、それは仕方のないことで、だからこそ他の挑戦をしてみることが大切だと身をもって証明しています。

トライアスロン

ランナーズブルーが訪れてから、村上さんは「トライアスロン」や「ウルトラマラソン」など「マラソン」の延長線上にある競技に挑戦しました。

このような新たな挑戦が「ランナーズブルー」を乗り越える鍵だと村上春樹さんは言っています。

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走ることと村上春樹

村上春樹さんは独特の文章と視点で物語を読者に伝えます。そのためには目の前の物事をいかに理解して捉えるかが重要になります。そんな物事の理解の仕方。

村上春樹さんは走ることで自分を理解します。

誰かに故のない非難を受けたとき、あるいは当然うけいれてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。いつもより長い距離を走ることによって、そのぶん自分を肉体的に消耗させる。そして自分が能力に限りのある、弱い人間だということをあらためて認識する

村上春樹さんは走ることで世界を理解します。

身体に現実的な負荷を与え、筋肉にうめき声を(ある場合には悲鳴を)上げさせることによって、理解度の目盛りを具体的に高めていって、ようやく「腑に落ちる」タイプである

自分が興味を持つ領域のものごとを、自分に合ったペースで、自分の好きな方法で追求していくと、知識や技術がきわめて効率よく身につくのだということがわかった

走ることで理解出来る素晴らしさを村上春樹さんは端的にこう表現しています。

僕はホームメードのこぢんまりとした空白の中を、懐かしい沈黙の中をただ走り続けている。それはなかなか素敵なことなのだ

しかし、闇雲に走っているだけではいけません。村上春樹さんはこう注意します。

ただ僕は思うのだが、本当に若い時期を別にすれば、人生にはどうしても優先順位というものが必要になってくる。時間とエネルギーをどのように振り分けていくかという順番作りだ。ある年齢までに、そのようなシステムを自分の中にきっちりとこしらえておかないと、人生は焦点を欠いた、めりはりのないものになってしまう

優先順位の中で年齢にあった付き合い方が特に重要であると村上春樹さんは言っています。

マラソンはやっぱり過酷?走るエッセイ

ずっと走り続けている村上春樹さんでも、フルマラソンの過酷さをこう表現します。

二十数年が経過し、年数とほぼ同じ数のフルマラソンを完走した今でも、42キロを走って僕が感じることは、最初のときとまるで変化していないみたいだ

最後は「からっぽのガソリンタンクを抱えて走り続ける自動車みたいな気分」になる。でも走り終えて少し経つと、苦しかったことや、情けない思いをしたことなんてけろっと忘れて「次はもっとうまく走るぞ」と決意を固めている。いくら経験を積んだところで、年齢を重ねたところで、所詮は同じことの繰り返しなのだ

何年走っても走っても同じ認識に立ち戻る。100からゼロ、ゼロから100までのふり幅がマラソンの魅力かもしれません。

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村上春樹流マラソンアドバイス

レース前の練習についてのアドバイスとしては、

負荷が何日か続けてかからないでいると、「あれ、もうあそこまでがんばる必要はなくなったんだな。あーよかった」と自動的に筋肉は判断して、限界値を落としていく。

レースを目前に控えた重要な時期には、筋肉に対してしっかりと引導を渡しておく必要がある。「これは生半可なことじゃないんだからな」という曇りないメッセージを相手に伝えておかなければならない。

これは神経生理学から見ても、正しい認識だと思います。負荷というメリハリは練習において必須となってきます。

ウルトラマラソンのすすめ

村上春樹さんにとって、ウルトラマラソン100キロを一人で走りきるという行為とは?
超長距離(100キロ)から見える世界

「日常性を大きく逸脱してはいるが、基本的には人の道に反していない行為」の常として、おそらくある種とくべつな認識を、あなたの意識にもたらすことになる。自己に対するあなたの観照に、新しい要素を付け加えることになる。その結果としてあなたの人生の光景は、その色合いや形状を変容させていくことになるかもしれない。多かれ少なかれ、良かれ悪しかれ。僕の場合にもそのような変容はあった。

僕は人間ではない。一個の純粋な機械だ。機械だから、何を感じる必要もない。ひたすら前に進むだけだ

僕のとりあえずの世界は、ここから3メートル先で完結している。その先のことを考える必要はない。ここから3メートル先の地点まで足を運ぶ――それだけが僕という人間の、いや違う、僕という機械のささやかな存在意義なのだ

ここからわかるように、100キロ走る(ウルトラマラソン)とは無我の境地に達する行為であり、

そこでは、走るという行為がほとんど形而上的な領域にまで達していた。行為がまずそこにあり、それに付随するように僕の存在がある。我走る、故に我あり

とまで表現されるほど、なかなか哲学的で深淵な行為のようです。

しかし、村上春樹さんはこう言っています。村上さんの仕事仲間がはじめてフルマラソンに挑戦するときに「楽しんで走ってください!」とメールを返しました。

村上春樹さんは言っています。

そう、マラソン・レースは楽しんでこそ意味があるのだ

村上春樹が指摘する走ることの本質とマラソンの本質

苦しいからこそ、その苦しさを通過していくことをあえて求めるからこそ、自分が生きているというたしかな実感を、少なくともその一端を、僕らはその過程に見いだすことができるのだ。生きることのクオリティーは、成績や数字や順位といった固定的なものにではなく、行為そのものの中に流動的に内包されているのだという認識にたどり着くこともできる

つまり、マラソンでのタイムという結果や順位ではなく、あくまでスタートラインに立つまでのプロセスを含めてマラソンであると言えると村上春樹さんは指摘します。

マラソンと人生

走るという行為を見つめた村上春樹さんがたどり着いた人生論

それが、

効能があろうがなかろうが、かっこよかろうがみっともなかろうが、結局のところ、僕らにとってもっとも大事なものごとは、ほとんどの場合、目に見えない(しかし心では感じられる)何かなのだ。そして本当に価値のあるものごとは往々にして、効率の悪い営為を通してしか獲得できないものなのだたとえむなしい行為であったとしても、それは決して愚かしい行為ではないはずだ。僕はそう考える。実感として、そして経験則として

です。

たとえ結果が出なくても、ポジティブに物事を捉え、何事にも価値を見出す心の働き。それが走ることで培われた人生論であると経験者は語ります。

さいごに

村上春樹さんはこう言っています。

もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるのなら、このように刻んでもらいたいと思う。

村上春樹

作家(ランナー)

1949-20※※

少なくとも最後まで歩かなかった。

走ることは歩くことではありません。だからこそ村上春樹さんはこれからも走り続けます。

今回はあくまで簡単に自分の言葉でまとめただけなので、少しでも気になった方は本書をお取り下さい。

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